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フラガール記憶の棘
フラガール
昭和40年、閉鎖が迫る炭鉱の町を救うため、北国をハワイに変えようという仰天プロジェクトが持ち上がる。その目玉がフラダンスショー。ど素人の炭鉱娘にダンスを教えるために、東京から元SKDの講師がやってくる。最初は嫌々教えていた彼女も、娘たちのひたむきな姿に忘れかけていた情熱を思い出していく。しかし、世間の風当たりは冷たい。果たしてオープンの日を無事迎えられるのか!?
これは「常磐ハワイアンセンター」(現在はスパリゾートハワイアンズ)誕生の実話に基づいた物語である。かつて常磐炭鉱は東京から最も近い巨大炭鉱だった。しかし、昭和40年代に入ると、エネルギーは石炭から石油へと変わり、炭鉱は閉山の危機にさらされた。そこで、会社が炭鉱で働く鉱夫やその家族を救済するための起死回生策として考えたのがハワイアンセンターの建設だった。炭鉱からテーマパークへ。なんとも奇抜なプロジェクトのようだが、採炭場からは豊富な温泉が湧き出ており、しかも当時の日本人の憧れの海外といえばハワイだった。施設の目玉はフラダンスショー。そして炭鉱救済が目的であるため、ダンサーに採用されたのは地元の若い女性たち。炭鉱夫の娘たちが貧しい一家を救うため、あるいは人員整理で職を失った父のため、フラダンスを踊ることを決意する。しかし、肌を露出して人前で踊るのは恥ずかしい。親からは激しい反対に合う。まして盆踊りしか知らない田舎娘がうまくダンスを踊れるはずもない。東京からプロのダンサーがやってくるが、これが田舎を馬鹿にしきった高慢な女だった……。
前途は多難だったが、踊ることに目覚め、その楽しさに夢中になる娘たちの情熱とひたむきな姿が、先生にやる気を取り戻させていく。フラガールとなった娘たちの真剣な姿、彼女たちの友情、先生との絆。そして彼女たちの前に幾度も立ちはだかる試練。一見ベタで、ありがちな展開だが、そこには実話ゆえの説得力があふれ、練習を積んでどんどん成長していくフラガールとそれを演じた女優たちの熱気が画面にほとばしる。クライマックスで見せる完璧なステージの感動はとても言い尽くせない。ダンスの先生を演じた主演の松雪泰子は3カ月にわたる猛特訓を重ね、蒼井優を筆頭にフラガールを熱演した若手女優たちも見事なまでのフラダンスを披露する。本作が本格的映画デビューとなる南海キャンディーズ“しずちゃん”こと山崎静代の華麗な踊りも必見。監督は『69 sixty box』の若き俊英、李相日。脚本は『パッチギ!』の羽原大介。撮影は『THE JUON〜呪怨〜』などで世界から注目される山本英夫。そして音楽には世界の“スーパー・ウクレレスト”ジェイク・シマブクロ。初めて映画音楽を担当した彼のサウンドが物語を鮮やかに盛り上げる!

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石炭から石油へ、炭坑からレジャー産業へ

「ここは百年続いた、天皇陛下までご視察に来られたヤマだぞ」と、劇中のセリフにある通り、常磐炭田(茨城県北部から福島県)の歴史は古く、石炭の採掘は江戸時代末期から始まった。明治維新後の富国強兵策や、終戦後の朝鮮戦争特需などにより炭鉱産業は栄え、最盛期の昭和28(1953)年には130の炭鉱が操業。従業員総数1万6000人。年間360万トンの石炭を産出した。 しかし、時代は石炭から石油へとエネルギー革命が進行しつつあった。昭和37年、常磐炭礦(昭和19年発足)は2000人の人員整理案を提示。さらに炭鉱に変わる地域産業として、地域内の豊富な温泉を活用したレジャー産業への進出を決め、昭和39年に常磐湯本温泉観光株式会社を設立、翌40年に常磐音楽舞踊学院を設立した。映画で描かれるように、炭鉱の町の娘たちによる「フラダンスショー」が全国で巡回公演を敢行し、新聞やテレビで取り上げられたのもこの年である。ちなみに、昭和40年は日本で高校進学率が初めて7割を超えた年だった。

一山一家の精神で

昭和41年1月15日、待望の常磐ハワイアンセンターがオープンした。約600人の従業員は全員、炭鉱から受け入れた。開業前の予想入場客数は年間80万人だったが、創業5年目には年間入場客が150万人を突破した。一方、素人集団による運営は問題も百出。しかし、炭鉱の町で培われた「一山一家」の連帯感で難局を乗り切った。「一山一家」とは常に危険と隣り合わせの炭鉱では全員が一丸となって団結するという意味の言葉である。やがてハワイアンセンターで踊る「フラガールズ」の人気は沸騰し、NHK紅白歌合戦出場も果たした。東京の芸能プロダクションからのスカウトもあったが、町を救うために踊りの道を選んだ彼女たちの中に東京の芸能界に進む者は一人もいなかった。 その後、常磐ハワイアンセンターは一時人気が低迷したが、平成2年に名称をスパリゾートハワイアンズに変更。ヘルシー&ビューティをテーマにホテルを併設した「ウイルポート」「スパガーデン パレオ」などの新施設をオープンさせるなど、地域密着の温泉リゾート施設として進化を続けている。

[ 松雪泰子 ]
炭鉱娘たちにフラダンスを教えるために東京からやってきた元SKD(松竹歌劇団)のダンサー。当初は田舎町を軽蔑するが、娘たちの熱心さを前にしだいに真剣になっていく。

■PROFILE
91年女優デビュー。映画、テレビドラマだけでなく、近年は『吉原御免状』など舞台にも活躍の場を広げる。主な出演映画に『白鳥麗子でございます!』『MONDAY』『子ぎつねへレン』『子宮の記憶/ここにあなたがいる』他。1972年生まれ。

[ 蒼井 優 ]
親友に誘われ、新設される常磐ハワイアンセンターのダンサーに応募。しだいにダンスにのめりこんでいく。しかし母親には大反対され、家を出てレッスン場に寝泊りする。

■PROFILE
映画デビューは『リリイ・シュシュのすべて』。その後『害虫』『花とアリス』など映画を中心にテレビ、CMでも活躍。出演作に『ハチミツとクローバー』『蟲師』他。1985年生まれ。

[ 豊川悦司 ]
紀美子の兄。閉山の危機が迫る炭鉱町にあって、亡くなった父と同様に誇り高く炭鉱夫を続ける。しかし、フラダンスに熱中する紀美子やまどか先生を陰ながら応援している。

■PROFILE
『12人の優しい日本人』で本格的映画デビュー。『八つ墓村』『命』で日本アカデミー賞主演男優賞受賞。出演作に『日本沈没』『やわらかい生活』『愛の流刑地』他。1962年生まれ。

[ 山崎静代 ]
フラダンサーの説明会に父に付き添われて、やってくる。体は大きいが、無口で気は小さい。厳しいトレーニングに泣きながら耐え、巡回公演中に炭坑の落盤事故で父を失う。

■PROFILE
2003年、お笑いコンビ“南海キャンディーズ”結成。翌年M-1グランプリで準優勝し、一躍全国区に。本作が彼女にとって女優デビュー作。今後の活躍が期待される。1979年生まれ。

[ 岸部一徳 ]
ハワイアンセンター部長。元炭鉱夫。娘たちにフラダンスを仕込むため、東京から講師を招き尽力。フラダンスの公演では司会も務める。

■PROFILE
グループサウンズ『ザ・タイガース』でデビュー。解散後、俳優に転身。『死の棘』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞。出演作に『顔』『ゲロッパ!』『火火』他。1947年生まれ。

[ 冨司純子 ]
紀美子と洋二郎の母。夫を落盤事故で亡くし、自分も炭鉱でずっと働いてきた。炭鉱を閉じてハワイアンセンターを建設することにも、紀美子がダンサーになることにも大反対。

■PROFILE
17歳で東映入社。芸名藤純子でデビュー。『緋牡丹博徒』シリーズなどで人気を博す。1989年、芸名を富司純子に改名。出演作に『寝ずの番』『犬神家の一族』他。1945年生まれ。

[ 徳永えり ]

[ 池津祥子 ]

[ 寺島 進 ]

[ 高橋克実 ]

[ 三宅弘城 ]

[ 志賀 勝 ]

フラガール

── 『フラガール』は興行的に大成功しただけでなく、数々の映画賞に輝きました。松雪さん自身も主演女優賞を獲得されました。

松雪 去年は私にとってまさに『フラガール』の年でした。フラダンスのレッスンを開始したのが一昨年の11月半ば。そこから映画の撮影が始まり、やがて完成し、劇場でヒットするまでの過程というのは、映画のなかで描かれるハワイアンセンター誕生までのドラマと重なるものがありました。生みの苦しみというのでしょうか。出演者、スタッフ全員が力を一つに合わせて作品をつくりあげていったという点では、過酷だけれど、とても充実した現場でした。しかも、そうやって生まれたものが多くの人に感動を与えることができたのですから、私にとって本当に大きな意味のある作品だったと思います。

── やはりダンスシーンは苦労されましたか。

松雪 この映画の成功の鍵を握るのがフラダンスのシーンでした。しかし、私を含め、みんなほとんどが未経験。フラは体の使い方が独特ですし、基本的な動きやポジションが体にしみ込むまでにまず時間がかかりましたね。午前中にバレエの基礎をやり、午後にはフラのレッスン、さらにタヒチアンのレッスン……これを撮影に入る前に1カ月半繰り返しました。共演者といっしょに強化合宿も行いましたし、撮影中も空き時間やオフの日はダンスの練習をしていました。でも、そうやって憶えたフラダンスというのはすごくスピリチュアルだし、心を癒す力があるものだということを実感できるまでになりました。

── 松雪さんが演じたダンス講師の平山まどか役は、カレイナニ早川という実在の人物がモデルとされているわけですが。

松雪 早川先生には実際にお会いして集中的にレッスンを受けましたし、当時のお話も聞かせていただきました。映画で描かれる世界より、実際はもっとたいへんだったようです。女性が立ち上がって物事を動かすのが困難だった時代に、フラという世間に認知されていないものを指導していくのは想像を絶する苦労があったのだと知りました。

── 時代的には松雪さんが生まれる以前の話です。ギャップを感じませんでしたか。

松雪 今以上に、時代を変えていこう、新しいものを貪欲に取り入れていこうというパワーを感じさせる時代だった気がしますね。そして、新しいものを生み出すときに必要なのは希望を失わず、あきらめず、自分たちの力を信じること。そんな思いを抱いた人が結集することによって、何かが大きく動いていく。それはいつの時代も変わらないと思うし、この映画が持っている、そうしたメッセージは多くの人に伝わると思います。私自身、脚本を読んでそこが興味深かったところですし、感情的にも表現しやすかったですね。

── 李相日監督の演出については?

松雪 演じる側がギリギリの状態に追い込まれたときに、どんな芝居をするのか、どこまで感情がむき出しになるのか……そこまで要求される方でした。私が(蒼井)優ちゃんを叱る場面など、テイク数が50を超えたカットもありました。ある意味、とても厳しいと言えるし、私たちは精神的な戦いを強いられているようでした。でも、そうした演出が『フラガール』のリアリティにつながっているのだと思います。

── 共演の蒼井優さんや本作が本格的な演技はこれが初めてとなる山崎静代(南海キャンディーズ)さんはいかがでしたか。

松雪 優ちゃんは感性がクリアというか、素晴らしい女優ですね。役にストイックに、ひたむきに取り組む姿勢に感心しました。しずちゃんに対しては、共演者全員で彼女が演じやすいように雰囲気をつくりました。たとえばカット撮りだと経験の少ない彼女はたいへんだろうからと、岸辺(一徳)さんがリードして、撮影が終わったシーンも含めて最初からやり直したこともあります。その意味でもすごく温かい、一体感のある現場でした。

── 松雪さん演じる平山まどかの生徒たちがフラダンスを踊るクライマックスは感動的です。それを松雪さんは舞台の袖から見ているわけですが、どんな気持ちでしたか。

松雪 準備期間を含めて、それまでいっしょに過ごしてきたディープな時間が走馬灯のように蘇ってきて、感動という言葉では言い表せないほどでした。彼女たちが素晴らしいダンスを披露してくれたあのシーンは、この作品をご覧になった方はみんな感動されると思いますが、現場にいた私たちはそれ以上の感動と歓喜のなかにいました。スタッフ、キャスト全員が号泣していましたね。よく頑張ったねみたいな……。

── これからDVDを見る方にメッセージをお願いします。

松雪 『フラガール』という作品がご家庭にあるというのがすごく素敵な気がします。泣きたいとき、感動したいときには何度でもご覧になってください。年齢や世代を問わず、家族の誰もが楽しめる作品ですから。