"原作は2004年に毎日新聞に連載された、桐野夏生の婦人公論文芸賞受賞の同名小説である。『OUT』『グロテスク』といった従来の桐野小説のように犯罪とその暗部に迫った作品ではない。還暦を目前に、夫に死なれ、独りで生きていかざるを得なくなった中年女性の心の彷徨が丹念に描かれる。
監督はデビュー作『どついたるねん』以来、『KT』『亡国のイージス』など男性的な映画を手がけることが多かった阪本順治。何よりこの組み合わせが新鮮だ。そして、その期待を裏切らない。物語は死んだ夫の携帯電話の着信音とともに大きく動き出す。愛人の存在、夫がついていた嘘。すべてを知っていたと思い込んでいた夫の人生に、まったく知らないことがあったことに気づかされ、妻は愕然とする。
さらに相続問題や子供たちの利己主義に頭を悩ます。こうして30年以上を専業主婦として生きてきたヒロインは、いやおうなく家庭という閉鎖的なテリトリーから放り出され、世間という荒波にもまれる道を歩み始める。愛人との対面。初めての家出とそこでの出会い。夫の蕎麦打ち仲間だった男性と過ごした一夜。第二の人生として選んだ仕事……。現実を受け止め、現実にとまどいながら一歩一歩前に進んでいく。
ヒロインの関口敏子を演じるのは風吹ジュン。いつもの華やかな役とは異なる平凡な主婦、それも実年齢より年上の老いに突入しようかという女性の行動や心理をリアルに表現する。自分にかまわなくなって久しい姿、異性に出会い心ときめかせる様子、そして自分の力で生きる道を見つけた充実した表情と、心の揺れや変化を見事に演じ切り、紛れもなく彼女の代表作となった。
出番は少ないが、愛人役の三田佳子も、日陰者ゆえの悔しさを福島なまりで語り、強烈な存在感を見せる。さらに敏子がカプセルホテルで出会った老女役の加藤治子。虚実入り混じった彼女のエピソードがドラマに深みを与えている。他に由紀さおり、藤田弓子、今陽子、寺尾聰、豊川悦司、常盤貴子ら脇役の演技も見応え十分。
そして、阪本監督が切りとった東京の風景である。カプセルホテル、デパートの屋上、場末のピンク映画館など、一つひとつが映画に確かな表情を刻んでいる。とりわけ、居酒屋で独り飲んだ後、夜の電車内で敏子が吐くシーン。周囲に迷惑をかけまいと真新しい自分のバッグに吐き、それでも顔を上げ、窓の外の夜景を見ながら「世の中……」とつぶやく。酔ってはいるが目は輝き、これからの人生に対する彼女の覚悟を思わせる名場面だ。阪本監督による人生讃歌の傑作に違いない。
定年を迎え夫婦二人で平穏な生活を送っていた関口敏子、59歳。しかし、63歳の夫・隆之が心臓麻痺で急死し、彼女の人生は一変する。亡き夫の携帯電話にかかってきた見知らぬ女からの電話。強引に同居を迫る長男。さらに長女も巻き込んでの相続問題。孤独と不安の中、敏子は妻でもなく、母でもない一人の女としての道を見つけようとするが…。
長編第1作『どついたるねん』で鮮烈にデビュー。その年の映画賞を総なめにする。以後コンスタントに作品を発表し、『顔』で日本アカデミー賞最優秀監督賞受賞。代表作に『鉄拳』『トカレフ』『新・仁義なき戦い』『KT』『亡国のイージス』他。1958年生まれ。
99年『柔らかな頬』で直木賞受賞。04年には『OUT』で日本人初の米国エドガー賞にノミネート。その後も『グロテスク』などミステリーの枠にとどまることなく人間の本質をリアルに描き、つねに時代を鋭く抉る衝撃作を発表する。近刊に『メタボラ』がある。1951年生まれ。
TVドラマ『寺内貫太郎一家2』で女優デビュー。91年『無能の人』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞、役者としての幅を広げる。代表作に『蘇る金狼』『無能の人』『コチーユ』『ゲド戦記』(声の出演)他。1952年生まれ。
1960年『殺られてたまるか』で映画デビュー。東映の看板スターとして活躍した後、テレビや舞台にも進出。84年『Wの悲劇』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。近年の代表作に『別れぬ理由』『極道の妻たち 三代目姐』『遠き落日』他。1941年生まれ。
1989年『12人の優しい日本人』で本格的に映画デビュー。その後、数々のTVドラマ、映画で主演を務め、『八つ墓村』と『命』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。近年の代表作に『やわらかい生活』『LOFT』『フラガール』などがある。1962年生まれ。
グループサウンズ“ザ・サベージ”で活躍後、1968年本格的に映画デビュー。76年、山田洋次監督作『同胞』の主役に抜擢される。その後、黒澤明監督の『乱』『夢』『まあだだよ』に出演。歌手としても『ルビーの指環』がミリオンセラーを記録。1947年生まれ。
—— 撮影に入る前に、特に役づくりについて考えられましたか。
風吹 ビジュアル面でのアプローチだけですね。実年齢より年上の役なので、エクステンションで白髪を5本入れ、ノーメイクに見えるような老け顔のメイクをしたり…。私が演じる関口敏子の年表もつくっていただきました。夫との最初のデートはいつで、上の息子が生まれたときは何年で、どんな映画が流行っていたかというような…。劇中にも出てくるソフィア・ローレンの『ひまわり』は、年表では夫とデートしたときに観にいった映画という設定でした。
—— 「風吹ジュンらしさはいらない」というのが、阪本順治監督からのリクエストだったそうですが。
風吹 女優・風吹ジュンの持っているニュアンスやイメージはすべて消して、新しいキャラクターをつくろうというのが監督のテーマだったんだと思います。
—— とまどいはありませんでしたか。
風吹 ありましたね。「女優の歩き方はいらない」と言われ、最初は足が止まりました(笑)。結局、監督は私にブレーキをかけてほしかったんだと思います。つまり、この映画で求められたのは発散する芝居ではなく、抑えた芝居だということです。撮影が始まってすぐに、非常に微妙で、複雑なゲームが始まったという感じがしました。ゲームですからゴールも、そこへ至るコースも決まっている。あとは私がそれをどう理解して、正確にクリアしていくか。ワンシーン、ワンシーン、そんなことの連続でした。
—— 確かに、従来の風吹さんのイメージからは想像できない印象を受けました。
風吹 もともと私は、役者というのはハードディスクで、そこに役というソフトウェアが入ることによって演技が生まれるんだと思っています。これまでの私の中にあるソフトだけでは今回の敏子はなかったでしょうね。外からまったく新しいソフトが入ることによって今までとは違う扉が開けられた。それは、女優として常に期待していることなんです。だから、ネットの批評に「今までの風吹ジュンは苦手だったけど、この映画は良かった」とあるのを見たときはとても嬉しかったですね。まさに私が狙っていたことでしたから。
—— 主人公にしては、意外に台詞は少ないですよね。
風吹 私が演じた敏子は、夫を亡くし、小さな家出をし、それまで経験したことのない社会や人々と向き合っていく。彼女がそこでどんなリアクションをするかが、私の演技でもあるわけです。阪本監督はそのリアクションをていねいにすくい取り、しかも言葉で多くを語らせることなく彼女の意思や考えを表現しています。試写会で観て、あらためてすごい作品だなあと思いました。
—— これからDVDを観る人にこの作品の魅力を語っていただければと思います。
風吹 東京国際映画祭に出品したとき、英語のタイトルが「AWAKING」だったんですが、とても内容とフィットしていると感じました。「気づき」や「目覚め」がまさにこの映画のテーマ。私の役はもちろん、三田佳子さんが演じた夫の愛人も、身勝手だった息子や娘も、みんな何かに気づき、最後は前に向かって生きていこうとする。そこが清々しいし、完成された大人の映画だと思いました。女性の映画のように思われがちですが、男性が見てもきっと発見することが多い作品です。ぜひ先入観なしにご覧になってください。