デジモンアドベンチャー 15th Anniversary Blu-ray BOX - ハピネットピクチャーズ - Happinet Pictures

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アイム・ノット・ゼア
 

「風に吹かれて」、「時代は変る」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「女の如く」、「見張塔からずっと」、[天国への扉]、「プルーにこんがらがって」……ロックンロール史に燦然と輝く、数々の名曲のソングライターであると同時に、ホップカルチャーの歴史上、もっとも深い謎に包まれた神秘的なイコン、ボプ・ディラン−。本作『アイム・ノット・ゼア』は、1962年のデビュー以来、今なお多くのアーティストたちの想像力を刺激してやまない“現代最高の吟遊詩人”ボプ・ディランの激動の人生を、大胆なアプローチによって浮かび上がらせた、これまでにない全く新しいスタイルの音楽ドラマ映画だ。ディランの音楽と人生をテーマにした映画は、これまでにも何度も企画されてきたが、ディラン自身の許可が下りなかったため、どれも実現にまでは至らなかった。本作は、ドキュメンタリー作品を除けば、ディラン本人が初めて公認しだ真のディラン映画”である。ボプ・ディランは、その45年にも及ぶキャリアの中で、幾度となく、自らのイメージの「破壊」と「再生」を緩り返してきたアーティストとして知られる。本作『アイム・ノット・ゼア』では、「6人の俳優」が「6つのステージのディラン」をモデルとした人物を演じ分けている。“生ける伝説”ボプ・ディランを巡るさまざまなストーリーは、時問の壁を越えて展開しながら、しだいに、ひとつの“巨大な人間像”を織り成していく。その手法は、まるでボプ・ディランの書く歌詞が、聴き手の心によって、いくつもの異なるイメージを紡ぎ出すのにもよく似ているめくるめく万華鏡の絵柄のように、幾重にも織り重なったイメージの集合体だけが、ボプ・ディランという神秘のアーティストの本質に迫ることができるのだ。

ボプ・ディラン 1941年5月24日、アメリカ合衆国ミネソタ州ダルース生まれ。本名ロバート・アレン・ジマーマン。62年のデビュー以降、45年以上にもわたって世界の音楽シーンの第一線で活躍を続けているアーティスト。「風に吹かれて」、「時代は変る」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「天国への扉」など、彼が生み出した数々のヒット曲は、それぞれの時代を代表する“永遠の名曲”として世界中の音楽ファンに親しまれているほか、のちに登場した多くのアーティストにも多大な影響を与え続けている。62年、アルバム「ボブ・ディラン」でデビュー。60年代初期にニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで花開いたプロテスト・フォーク・シーンの旗手として脚光を集める。60年代半ばには、フォークからロックンロールヘの転進をはかり、多くの物議を醸した。70年代以降も、時代の流れに左右されることなく、独自のスタンスで数多くの歴史的名盤を発表し続け、これまでに売り上げたアルバムの数は1億枚を超える。

輝かしい受賞歴も多く、グラミー賞の“アルバム・オプ・ザ・イヤー”(97年、「タイム・アウト・オプ・マインド」)、アカデミー賞の最優秀歌曲賞(00年、映画『ワンダー・ボーイズ』の主題歌「シングス・ハヴ・チェンジド」)など、これまでに名誉ある賞を数多く受賞している。88年には、ロックンロールの歴史に大きな功績を残したミュージシャンを対象に遍ばれる"ロックンロール・ホール・オプ・フェイム(ロックの殿堂)"入りも果たした。99年には「TIME誌が選んだ20世紀のもっとも偉大な100人”のひとりに選出された。また、『ローリングストーン』誌が02年に選定しだ現代のもっとも偉大なアーティスト”ランキングでは、1位のビートルズに次ぎ、第2位に選ばれた。その独特な歌詞の世界は、ボッブ・ミュージックの枠を超えて、文学界からも高く評価されており、近年でぱノーベル文学賞”の候補者に毎年のように選ばれている。

劇中で“ディラン”を演じ分ける6人の俳優は、まず、ロック・ドキュメンタリー映画の傑作『ドント・ルック・バック』(67年)にも記録された60年代中期のディランをモデルとしたジュード役に、ケイト・ブランシェット(『エリザベス』『ロード・オブ・ザ・リング』三部作)。“女優がディランを演じる”というチャレンジに敢えて挑んだ彼女のクールな熱演は、当時のディランが持ち合わせていたアンドロジニー(両性具有)な魅力を見事に体現し、07年のヴェネチア映画祭で主演女優賞の栄冠に輝いている。60年代の初頭、ニューヨークのフォーク・シーンに登場した頃のディラン(ジャック)と、70年代の後半、再生派キリスト教に傾倒していた頃のディラン(ジョン牧師)という“ふたりのディラン”を一人二役で演じるのは、クリスチャン・ベイル(『バットマン・ビギンズバプレステージ』)。そのほか、ディランの人生を語る上で欠かせない“ふたりの女”(60年代初期の恋人だったスージー・ロトロと最初の妻サラ)をモデルにした女性との危うい関係に苦悩するロビー役にヒース・レジャー(『ブロークバック・マウンテン』)、ビリー・ザ・キッドをはじめとするディランの歌に秘められた数々の神話世界を象徴するビリー役にリチャード・ギア(『プリティ・ウーマン』『シカゴ』)、オリジナルなスタイルを模索していたデビュー以前のディランを投影したウディ役に黒人の子役俳優マーカス・カール・フランクリン、詩的な言葉で人々を幻惑する“象徴派詩人”としてのディランが重なるアルチュール役にベン・ウィショー(『パフュームある人殺しの物語』)が配役されている。さらには、ジュリアン・ムーア(『めぐりあう時間たち』『エデンより彼方に』)、シャルロット・ゲンズブール『なまいきシャルロット』『恋愛睡眠のすすめ』)、ミシェル・ウィリアムズ(『プロークバック・マウンテン』)といった人気女優たちがそれぞれの物語の脇を華麗に固め、現代の映画界を代表するオールスター・キャストが一堂に会してくれている点も、本作『アイム・ノット・ゼア』の大きな話題のひとつだ。

 

自らを“アルチュール・ランボー”と名乗る象徴派詩人
映画のナレーター的な役割を務める。観客からは見えない“宵広姿の男たぢから「なぜプロテスト・ミュージックを書くのをやめたのか?」という尋間を受け、アルチュールは、詩人のヴィジョンでモノローグを語りつづける一その言葉は"ほかの5人のディラン”が繰り広げる事件の感情的なバックグラウンドを解き明かすためのキーワードでもある。マーカス・カール・フランクリン、62年にデビューを飾る前の若き日のディラン。当時のディランは、ウディ・ガスリーをはじめとするフォーク・シンガーやロバート・ジョンソンに代表される黒人ブルース・シンガーの歌をコビーし、ソングライティングの技術を学びながら、アメリカ各地を旅し、オリジナルのジョンを模索していた時期たった。

“ウディ・ガスリー”という名の11歳の黒人少年
1959年。「ファシストを殺すマシン」と書かれたギターケースを抱えた黒人の少年が、貨物列車に飛び乗る。先に無賃乗車していたふたりの放浪者に向かい、ウディは自分のこれまでの半生を語りはじめる。「自分がボッブ・ミュージックを歌っていたら、エルヴィス・ブレスリーと同じくらい有名になっていただろう」と言うその過去は、少年の年齢を考えると、明らかに辻棲(つじつま)が合わない。黒人のブルース・シンガーの家に転がり込んだウディは、庭でセッションを行ない、食事をごちそうになるが、「遇去の世界ではなく、今の世界のことを歌いなさい゛」という老母の言葉にショックを受け、再び貨物列車で放浪の旅に出る。列車内で強盗団に襲われたウディは、川に飛び込むことで九死に一生を得た。白人の女性に救われたウディは、その家族や友人たちから“天才ギター少年”と持ち上げられ、ハリウッドでデビューを果たす夢を抱くが、そのとき、ミネソタ州の少年鑑別所から一本の電話がかかってくる。ウディはその鑑別所の脱走者だった……。過去を偽って生きることに嫌気が差したウディは、次のステージヘ進むために、病床に臥して入院していだ実在のウディ・ガスリーのもとを訪れる決意をする一一一一。

社会派フォークを歌う新進シンガーソングライター/ゴスペルを歌う教会の牧師(※劇中では、ロック・ドキュメンタリー番組の形式で語られていく)60年代前半、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジを拠点に盛り上がりを見せていたプロテスト・フォークの世界に、ひとりの新人シンガーが登場し、喝采を集める。ジャック・ロリンズという名の彼は、女性シンガーソングライターのアリス・ファビアン(ジュリアン・ムーア)と共に“新しい時代の声”として、シーンの中心的存在となっていく。だが、パーティの受賞スビーチで、JFKを殺害したリー・オズワルドを称えたことにより、ジャックは理解者たちの反感を買い、裏切り者扱いされてしまうー。
それから約20年後、大衆の前からいっさい姿を隠していたジャックの居場所を、ロック・ドキュメンタリー番組の制作クルーが突き止める。西海岸のカトリック教会に身を寄せていたジャックは自らを“ジョン牧師"と名乗り、キリスト教の布教活動にいそしんでいた。インタビュアーの取材に対して「プロテスト・フォークはもう歌わない」と答えたジョンは、説教壇に上がり、集まった信者たちを前に、祈りにも似たゴスペル・ナンバーを力強く演奏しはじめる一。
*ディランと共にプロテスト・フォーク・シーンで人気を集めていた女性シンガーソングライター、ジョーン・バエズがモデル。

ハリウッド・スター/偽りの結婚生活
ベトナム戦争が本椙化した激動の65年。フォーク・シンガーのジャック・ロリンズを題材にした伝記映画「砂の粒」に主演した新人俳優のロビーは、抽象画家をめざすフランス人の美大生クレア(シャルロッ卜・ゲンズプール)と出会う。深夜のカフェで語り合ううち、たちまち恋に落ちたふたりは、すぐに結婚する。だが、ロビーが俳優として成功を収め、クレアがふたりの子供の子育てに追われるにつれ、順調に思われた結婚生活は少しずつ破綻しはじめ、ふたりの間には感情的なすれ違いが多くなってしまう。73年、おりしもベトナム戦争から米軍が撤退したというニュースをテレビで見ていたクレアは、ロビーとの9年に及んだ偽りの結婚生活に終止符を打つことを決心する。裁判で争われた子供の養育権は、クレアが所有することに落ち着く。真夜中にクレアがひとりきりで佇む部屋のテレビには、映画『砂の粒』の中でジャックがフォーク・シーンとの訣別をアリスに告げるシーンが映っていた。

華麗なるロックンロール・スター
65年。ロックンロール・バンドを従えてフォーク・フェスティバルに出演したジュードは、かつてのフォーク・ソングを期待していた観客から激しいブーイングを受ける。しかし、ジュードはバンドを引き連れ、ロンドンヘと向かう。記者会見のくだらない質問を煙に巻いたジュードは、豪華なホテルの一室でドラッグにふけりながら、ロック・スターとしての生活を満喫する。翌日、英国式庭園での取材の前にビートルズの4人と短い挨拶を果たしたジュードは、記者たちの質問を聞き流すうちに、同じくロンドンを訪れていたニューヨークの人気モデル、ココ・リヴィングトン(ミシェル・ウィリアムズ)と、林の中で幻想的な会話を交わす。車での帰り道、ジュードの一行は、カートで追いかけてきたビートニク詩人、アレン・ギンズバーグ(デヴィッド・クロス)と出会う。車に同乗したジョーンズという名のジャーナリスト(ブルース・グリーンウッド)が繰り出す執拗な質問にキレたジュードは、車を飛び降りる。翌日の夜のライブ、かつてのヒット曲を期待して開場に駆けつけたファンの前で、ジュードのバンドは再び激しいロック・ナンバーを演奏する。
ドラッグの乱用による睡眠不足と、誰からも理解されない孤独感は、少しずつジュードの精神と肉体をむしばんでいく。ヒップな人種が集まったパーティ会場で、バンド・メンバーやココに激しく悪態をついたジュードは、何かから逃げるかのように開場を後にするが、その途中、意識が少しずつ遠のき、やがて地面へと倒れ伏せたー。

西部開拓時代のアウトロー
開拓時代の西部の町“リドル”の人里離れた一軒の小屋で、ビリーは、犬のヘンリーと共に、厭世的な隠居生活を送っていた。あるとき、久しぶりに馬で遠出をしたビリーは、町の住民たちに30日間以内の立ち退き命令が下っていたことを知る。付近の多くの住民は家を追われ、中には自殺者も出ているというのだ。
詳しいことを突き止めるために町の中心部へと向かったビリーは、ハイウェイ建設の黒幕が、町の権力者にして、自分の宿敵でもあるギャレット長官であることを知る。広場で始まったギャレットの演説会に駆けつけたピリーは、自分の素性を隠すかのように仮面をつけ、汚職にまみれたギャレットの悪行を声高に非難する。ビリーの正体に気づいたギャレットは逮捕命令を下すが、ビリーの言葉がきっかけとなり、町民たちは自らの権利を守るために一斉蜂起を開始する。牢獄に入れられたビリーは、仲間の助けによって脱走を果たし、新たな旅先へ向かうことを決意する。貨物列車に飛び乗り、犬のヘンリーに別れを告げるビリーが抱えている古びたギターケースには、「ファシストを殺すマシン」と書かれていたー。

 

ボブ・ディランは、あなたにとってどんな存在ですか?

「ディランがアーティストとして成し遂げたことは、ここで改めて説明するまでもないと思うよ。彼を史上最高のソングライターと思っている人もいれば、彼のことなんか気にも留めない人もいる。でも、ホップ・ミュージックと戦後のカルチャーにおける影響力という点から考えれば、誰もディランという存在を避けて通ることはできない。彼とビートルズが60年代を牽引したんだ。特に、当時を生きていた多くの若者にとってはね」

この作品を撮るに当たって、どんな準備をしたんですか?

「ディランの作品がどうやって作られたのかを調べたよ。彼の歌を聴いたり、執筆物を読んだり、インタビュー映像や映画を見たりしたし、そのほかに、彼に影響を与えたと思われる音楽や文学、映画や社会的背景についても調べた。ありきたりの伝記映画を作るつもりはなかったから、代わりに、彼が制作活動を行なったり、実際に暮らしていた場所に行ってみた。彼について書かれた伝記もすぺて読んだ一一彼について出版されている本はすべて読んだよ。でも、そういった本を書いた人に取材をしたりはしなかった。“本物のディラン”や“真実のディラン”を探すために書かれた伝記は、どれも失敗しているように思えたからね。ディランの真実を描くには、“フィクション”を通して描かなくてはいけない、と思っていたんだ」 

本作は、ディランがこれまでに製作を許可した唯一の伝記映画です。どうやって彼にこのプロジェクトを説明したんですか?

「今回の冒険を通して、僕自身がディランと会ったり話したりすることは、一度もなかった。もし僕が望むなら、可能だったとも思うけど、僕はそうしなかった。そうする必要性を感じなかったからね。その一方で、彼に長年連れ添うマネージャーのシェフ・ローゼンとはすごく親しくなったし、彼はこのプロジェクトに最初からすごく協力的だった。ディランの長男で、ロサンゼルスに拠点を置くインディペンデント映画監督のジェシーを通じて、僕とプロデューサーのクリスティーン・ヴァションが2000年の夏に最初にアプローチした相手がジェフだったんだ。シェフはこちらの投げかけに対して、ディランを“天才”だとが“現代を代表するシンガー”とは形容しないように注意してくれた上で、1枚の紙にコンセプトをまとめるように言ってきた。僕らがコンセプトをまとめた用紙と、僕の過去の映画のビデオをいっしょに送ったら、数ヶ月後に、ディランから“イエス”という言葉が返ってきたんた。未だに自分でも信じられないんだけどね」

どのようにディランの人生を受け止め、描こうと思われましたか?

「この映画ぱ“ボプ・ディランのすぺてを語る”というタイプの作品じゃないからね。彼がどのくらいドラッグを使ったとか、どのくらい不義を働いたのかを追求する作品ではないし、一方で、彼のことを単純に崇め奉るような作品でもない。その代わりに、ディランの中に存在するいろんな側面や、他の人々がディランをどう受け止めてきたかということを、さまざまな角度から描いているんだ。ディランのマネージメント側は、あれこれ口を出さず、僕がイメージしたままにディランを描くことを奨励してくれた。この映画に率直さや深みを加えられたのは、そのおかげなんだよ」 

『アイム・ノット・ゼア』というタイトルを選んだ理由は?

「“アイム・ノット・ゼア”は、ディランの作品群の中でも手に入りにくいことで有名な曲で、67年に彼がザ・バンドと一緒に行なった『ベースメント・テープス(地下室)』セッションでレコーディングされた曲なんだ。その頃のディランはオートバイ事故から回復したばかりだった。映画の中では、オリジナルのディランのバージョンと、ソニック・ユースによるカバー・バージョン(ソニック・ユースにとって最初で唯一のディランのカバー曲)の両方を使っている。僕自身にとって、このタイトルは、ランボーの“私はひとりの他者である”という有名な詩節(映画中でも引用されている)を想起させるものたったーー“複数のディラン”を描くことで彼の巨大な人間像に迫る、という映画全体のテーマともぴったり合っていたしね」

ディランのさまざまな側面を描くに当たって、6人の俳優を起用するというアイディアはどうやって生まれたんですか?

「ディランについてリサーチを進めていくうちに、彼の内面に起こった変化を発見していったんだ。彼の人生を特徴づけているのは、アーティスティックな変化の連続だからね。ディランの人生の真実を表現するたったひとつの手段は、それをドラマ化すること 彼の人生と作品を濾過して、別々の人格を浮き上がらせて、そのそれぞれを物語に仕立てることたと思ったんだよ」

どうやって俳優を選んだのですか?特にケイト・プランシェットを選んだ理由は?

「基本的に、たた思いついた中で一番だと思える俳優をキャスティングしたんだ。ジュードの役は女性が演じるぺきたとずっと考えていた。66年当時のディランの肉体が持っていた不思議な感覚を表現する手段は、ほかに思いつかなかったからね」

俳優たちには、どこまで解釈の自由を与えたのですか?

「この作品の準備に取りかかっている間に、かなりの量のディランのヴィジュアル資料を渡した。それと、それぞれの物語をスタイリングしたイラストや、彼らが役柄を膨らませるのに役立ちそうなディランの歌やインタビューもね。ディランの真似をしてくれとは誰にも言わなかったけど、彼の人生の特定の時期を演じてもらうにあたって、ディランの歩き方や外見やスタイルを利用してもらうことはした。その結果として、ディランの内面から外見に至るまで、それぞれの俳優ごとに幅広い解釈が生まれたんだ」

ディランの膨大なカタログの中から、どうやって選曲をしたんですか?

「映画で使用した曲は、必ずしも僕が個人的に好きな曲でもないし、ディランの中で“ベスト”と言われているものでもない。選曲する際に重視したのは、まず、物語性のある曲だということと、ドラマとしての要求を満たせる曲だということだった。ただ、ディランの傑作と言われている曲と、ほとんど知られていない曲を組み合わせた方がいいとは最初から思っていた。それと、ディラン自身によってレコーディングされた曲と、今の時代のアーティストがカバーした曲を混ぜた方がいいだろう、ともね。そうすることによって、彼の膨大な作品の奥行きがさらに広がるだろうと思ったんだよ」 

ある意味では“過激な解釈”とも言えるこの作品を、ディランのファンはどう受け止めると思いますか?

「ディランの熱狂的なファンたちは、みんな真剣だからね。陶酔感を感じてくれる人もいれば、激怒する人もいて、強烈な論争を巻き起こすことになるんじゃないかな」

1969年、アメリカ・カルフォルニア州生まれ。80年代半ば頃に自主制作で短編映画を作りはじめ、87年、「Superstar:The Karen Carpenter Story」を発表。70年代の人気ポップ・デュオ、カーペンターズの女性ヴォーカルだったカレン・カーペンターの不幸な生涯を題材に、全ての登場人物を"バービー人形"を使って描いた同作は、曲の著作権の関係で一般公開に至らず、"幻の傑作"と呼ばれた。
91年、「ポイズン」で長編監督デビューを果たし、サンダンス映画祭の審査委員特別賞を受賞。94年には、ジュリアン・ムーア主演作「safe」(日本では『ケミカル・シンドローム』の邦題でビデオ発売)を発表。<ボストン・グローブ><インタビュー><ヴィレッジ・ヴォイス>など、多くのメディアでその年の"ベスト・フィルム"に挙げられ、話題を呼んだ。
97年、70年代のロンドンで人気を集めたグラム・ロック・シーンに題材を得た『ベルベッド・ゴールドマイン』を発表。ユアン・マクレガー、ジョナサン・リース・マイヤーズ、クリスチャン・ベイル、トニー・コレットらが出演した同作は、カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞し、へインズの知名度を国際的に高めるきっかけとなった。02年には、再びジュリアン・ムーアを主演に据えた『エデンより彼方に』を発表。50年代に多くのメロドラマの傑作を送り出した名匠、ダグラス・サーク監督の作風にインスパイアされた映像美が絶賛され、アカデミー賞で4部門にノミネート。また、ヴェネチア国際映画祭ではジュリアン・ムーアに主演女優賞が贈られた。現在はオレゴン州ポートランドを拠点に活動中。寡作ながらも、現代のアメリカ映画界を代表するインディペンデント監督として、全世界の映画人から高い評価を集めている。

 
 

品番:BIBF-7670 発売日:2008.10.24 予定
スペック:カラー/136分/片面2層/1枚組
価格:4,700 円(税抜)
画面:16:9LBシネスコ 字幕:日本語字幕
音声:1.英語ドルビーデジタル5.1chサラウンド
   2.英語ドルビーデジタル2.0chステレオ
公開日:2008年4月 製作国:アメリカ 製作年:2007年

<特典映像>
■未公開シーン(曲のロングバージョン)
"Tomstone Blues" "Maggie's Farm" "Hattie Carroll"
■スタッフキャストインタビュー
(ヒース・レジャーインタビュー含む)
■ボブ・ディランへの手紙
■海外版予告編
■スタッフキャストプロフィール(静止画)

<初回限定特典>
■外箱仕様&特製ジャケット■ブックレット封入

© 2007 VIP Medienfonds 4 GmbH & Co.KG/All photos-Jonathan Wenk